《会津戦争を考える(その1)》

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井沢元彦氏の『逆説の日本史』は、小学館『週刊ポスト』で1992(平成4)年1月1日号から連載が始まり、現在も継続しており、単行本も22巻に及んでいる。井沢元彦氏は1954(昭和29)年愛知県名古屋市生まれ、早稲田大学法学部を卒業後、TBS報道局記者を経て、小説家となる。現在62才である。『逆説の日本史〈1古代黎明編〉』(小学館,2010年第26刷版)の序論「日本の歴史学の三大欠陥」では、自身が『歴史学の専門家でもない』(50頁)こと、つまりいわゆる研究者としての学者ではないとされているが、『特に私は、日本の歴史学には、三つの大きな欠陥があると考えている。第一に日本史の呪術的側面の無視ないし軽視、第二に(こつ)(けい)ともいうべき史料至上主義、第三に権威主義である。』(51頁)と主張している。そしてこの『三大欠陥がある限り、素人の活躍する余地は大いにあるのだ。』(77頁)とされている。このうち第二の「史料」は、現代の自伝や社史のように勝者の立場から記述されているものが多いことも事実であろう。

井沢元彦氏も、日本史に登場するさまざまな謎を、別の角度から読み解き、その真相に迫った『学校では教えてくれない日本史の授業』(PHP研究所)を出版されている。また最近では森浩一著『敗者の古代史』(中経出版、2013年)をはじめ、明治維新についても、星亮一著『敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記―』(青春出版社、2014年)、浅川道夫他著『敗者たちの幕末維新』(洋泉社ムック別冊歴史REAL、2014年)、原田伊織著『明治維新という過ち』(毎日ワンズ、2012年)、同『官賊と幕臣たち―列強の日本侵略を防いだ徳川テクノクラート』(毎日ワンズ、2016年)など、敗者の立場から考察した歴史書も多く発行されている。

そこで今回は、明治維新のうち戊辰戦争、とくに会津戦争を取り上げてみたい。

まずはじめに高校教科書である笹山晴生他著『詳説日本史B』(山川出版社、2014年版)に記述されている「戊辰戦争」を見てみよう(260-261頁)。

2 明治維新と富国強兵

《戊辰戦争と新政府の発足》

徳川(よし)(のぶ)(よう)する旧幕府側は,1868((めい)()元)年1月,大坂城から京都に進撃したが,()()(ふし)()の戦いで新政府軍に敗れ,慶喜は江戸に逃れた。新政府はただちに,慶喜を(ちょう)(てき)として追討する(とう)(せい)軍を発したが,江戸城は,慶喜の命を受けた勝海舟と東征軍(さん)(ぼう)西(さい)(ごう)(たか)(もり)の交渉により,同年4月に()(けつ)開城された。さらに東征軍は,(おう)()(えつ)(れっ)(ぱん)同盟を結成した東北諸藩の抵抗を打ち破り,9月にはその中心とみられた(あい)()(わか)(まつ)城を攻め落とした。翌1869(明治2)年5月には,(はこ)(だて)()(りょう)(かく)に立てこもっていた旧幕府海軍の(えの)(もと)(たけ)(あき)(1836~1908)らの軍も降伏し,国内は新政府によってほぼ統一された。1年半近くにわたったこれらの内戦を()(しん)戦争という。

(かん)(ぐん)とも呼ばれた東征軍には,豪農・豪商がみずから組織した()(ゆう)軍を率いて参加した。とくに相楽(さがら)(そう)(ぞう)らの(せき)(ほう)隊は幕府領での年貢半減を掲げて(とう)(さん)(どう)を東進し,農民の支持を得たが,新政府はのちに相楽らを(にせ)官軍として処刑した。

❶幕府の崩壊と新政府の成立を,同時代の人びとは,政治の(いっ)(しん)という意味で()一新といい,また中国の古語を当てて()(しん)とも呼んだ。しかし,歴史用語としては,黒船来航に始まり,(はい)(はん)()(けん)に至る一連の激動の時代を総称して,明治維新と呼んでいる。

ここでは新政府側と旧幕府側の構成が明らかにされておらず、また「奥羽越列藩同盟」もその内容が示されていない。

これに対して一般の読者を対象とした五味文彦・鳥海靖編『もういちど読む山川日本史』(山川出版社、2009年)では、ほぼ同じ記述量であるが、その解説は明快である(217頁)。

3 明治維新

戊辰戦争

1868(明治元)年1月,薩摩・長州両藩兵を中心とする新政府軍と,旧幕臣や会津・桑名藩兵を中心とする旧幕府軍とのあいだに,京都の近くで武力衝突がおこった(鳥羽・伏見の戦い)。これに勝利をおさめた新政府軍は,徳川慶喜を朝敵として追討し,江戸へ軍をすすめた。新政府軍を代表する西郷隆盛と旧幕府側を代表する勝海舟との交渉により,同年4月,江戸は戦火をまじえることなく新政府軍により占領された。一部の旧幕臣や会津藩はなおも抵抗し,東北諸藩も(おう)()(えつ)列藩同盟を結成して会津藩をたすけたが,つぎつぎに新政府軍に敗れ,同年9月,はげしい戦闘のすえ,会津藩も降伏した。

翌1869年5月には,旧幕府の海軍をひきいて箱館を占領していた榎本(たけ)(あき)らが,()(りょう)(かく)の戦いに敗れて降伏し,ここに()(しん)戦争とよばれる一連の戦いはおわり,国内は新政府のもとに統一された。

このうち新政府軍(側)が「官軍」、旧幕府軍(側)が「賊軍」と呼ばれており、戦いは道理に合わなくても勝てば正義で、道理に合っていても負ければ不正なものとされるという意味のことわざ「勝てば官軍、負ければ賊軍」にもなった。なお、維新で敗れた旧幕府軍の軍勢は「賊軍」の汚名に泣いたともいわれている。

この二つの本には148年前に起こった会津藩の戦いの内容や子供たちで結成された白虎隊の自刃などに触れていないのは、紙面の都合によるものと思われるが、残念である。

 

―71回目の終戦記念に戦いを考えながら―

平成28年8月15日

 横山和夫

Category: 事務所NEWS
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