戊辰戦争の終結後、明治維新の結論として廃藩置県が断行され、日本は近代化のスタートラインに立つこととなった。教科書では、『戊辰戦争の進行とともに,新政府は,没収した旧幕府領のうち,要地を府,その他を県としたが,諸藩では各大名が統治する体制が従来のまま存続していた。新政府は藩制度の全廃をついに決意し,1871(明治4)年,まず薩摩・長州・土佐の3藩から御親兵をつのって軍事力を固めたうえで,7月,一挙に廃藩置県を断行した。すべての藩は廃止されて府県となり❷,旧大名である知藩事は罷免されて東京居住を命じられ,かわって中央政府が派遣する府知事・県令が地方行政に当たることとなり,ここに国内の政治的統一が完成した。❷初め1使(開拓使)・3府(東京府・大阪府・京都府)・302県となったが,同年末には1使3府72県に整理し,そののちの統廃合を経て,1888(明治21)年に1道3府43県となった。』(笹山他『詳説日本史B』山川書店、2014年版、262頁)とされている。
廃藩によって新たに72県が置かれたが、その名称は『県(地方官)が新たな県政を進めるにあたって、旧藩名をそのまま使うことは障害となると判断し、人心一新をはかるために旧藩名の抹消を提起し、政府がこれに応えたのであった。旧藩時代の「旧習」を脱ぎ捨て、開化政策を推進しようという意気込みの発露である。このようなことから、政府内部での藩名消去も旧習一掃の意図にもとづいてなされたものと考えられる。』(勝田政治著『廃藩置県―「明治国家」が生まれた日』講談社、2000年、205頁)と解されているが、その例外として、『旧藩名がそのまま県名につけられたのは、鹿児島・山口・高知・佐賀をふくめ、山形・静岡・宇都宮・秋田・和歌山・広島・岡山・鳥取・福岡の諸県のみである。七二県中、この一三県しかないのである。』(同上. 204頁)とある。いずれにしても、『政府の基本方針は、旧藩との関係を断ち切る意図から旧藩名の使用を極力避け、郡名(町村名・山川名)を採用するものであったといえよう。』(同上)とみられる。
1871(明治4)年の廃藩置県によって3府72県となったが、国名とその名称、そして現在の都道府県名を一表に対比して示した「行政区分」表(黒田日出男監修『図説日本史通覧』帝国書院、2015年版、巻末)に、都道府県名称の由来(『今日から役に立つ!常識の「漢字力」3200』西東社、2016年、101、117、143頁)を付記して示すと、次表のとおりである。
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
|||
北海道地方 | (蝦夷地) | 札幌 | 北海道 | 蝦夷地探検家の松浦武四郎が考えた「北加伊道」に北海道の字を当てた。 | |||
根室 | |||||||
函館 | |||||||
東北地方 |
陸奥 | 陸奥 | 青森 | 青森 | 現在の青森市本町附近に青い森があり、港に入る船の目印になっていた。 | ||
陸中 | 秋田 | 秋田 | アゴに似た地形からついた「齶田」が転じた。 | ||||
盛岡 | 岩手 | 鬼が岩に手形を残したという言い伝えから「岩手」の名がついたという。 | |||||
陸前 | 水沢 | ||||||
宮城 | 奈良時代の朝廷の出先機関が置かれて「宮宅」と呼ばれ、これが変化した。 | ||||||
仙台 | |||||||
磐城 | |||||||
磐前 | |||||||
福島 | 豊臣秀吉の命により会津藩主となった蒲生氏郷が縁起をかついで城の名前を「杉目城」から「福島城」とした。 | ||||||
岩代 | 福島 | ||||||
若松 | |||||||
出羽 | 羽後 | 秋田 | 秋田 | (前出) | |||
酒田 | 山形 | 現在の山形市の南側(蔵王などの山がある)を「山方郷」と呼んだ。 | |||||
羽前 | |||||||
山形 | |||||||
置賜 | |||||||
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
|
関東地方 |
安房 |
木更津 | 千葉 | 数多くの葉が繁る土地(豊かな土地)を表すなどの説がある。 | |
上総 |
|||||
下総 |
新治 | ||||
印旛 | |||||
常陸 |
茨城 | 常陸国風土記に出てくる「イバラ」などが由来。県の花はバラ。 | |||
新治 | |||||
茨城 | |||||
下野 |
宇都宮 | 栃木 | 神社の「千木」が10本に見えた、植物の「栃木」がたくさん生えていたなど。 | ||
栃木 | |||||
上野 |
群馬 | 奈良時代に郡名を「車郡」から「群馬郡」に改めた。 | |||
群馬 | |||||
武蔵 |
埼玉 | 埼玉 | 「幸塊」(幸福を与える神)、「先多摩」などからきたといわれる。 | ||
入間 | |||||
東京 | 東京 | 西の京都に対して、「東の都」「東の京都」という意味。 | |||
神奈川 | 「神奈河」(または「神名川」「上無川」)に神奈川奉行所が置かれたことが由来。 | ||||
神奈川 | |||||
相模 |
|||||
足柄 |
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
中部地方 |
伊豆 |
足柄 | 静岡 | 駿府藩が考案した3案「静・静城・静岡」のうちの1つ。「シズ」は賎機山に由来。 |
駿河 |
静岡 | |||
遠江 |
浜松 | |||
三河 |
額田 | 愛知 | 万葉集に出てくる、名古屋市南区の一帯「年魚市潟」の「あゆち」が「あいち」に。 | |
|
||||
尾張 |
名古屋 | |||
美濃 |
岐阜 | 岐阜 | 禅僧・沢彦宗恩が進言した「岐山・岐陽・岐阜」の中から織田信長が選択。 | |
飛騨 |
筑摩 | |||
|
長野 | 扇状地などの傾斜面につけられた地名といわれる。 | ||
信濃 |
長野 | |||
|
||||
甲斐 |
山梨 | 山梨 | くだもののヤマナシ、山を平地にした「山ならし」など諸説ある。 | |
越後 |
新潟 | 新潟 | 県内に潟(湖沼)が数多くあったこと。新しい「潟」という説も。 | |
柏崎 | ||||
佐渡 |
相川 | |||
越中 |
新川 | 富山 | 「富める山の国」から。「外山」を縁起よく「富山」に変えた説などがある。 | |
能登 |
七尾 | 石川 | 石が多かったため手取川を石川と呼ぶようになり、地名となった。 | |
加賀 |
金沢 | |||
越前 |
足羽 | 福井 | 北の字が敗北に当たり不吉だとして「北ノ庄」から「福居」に改名。 | |
|
||||
若狭 |
敦賀 |
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
近畿地方 |
近江 |
長浜 | 滋賀 | 石の多いところを意味する「石処」、砂州や低湿地を意味する「砂処」など。 |
大津 | ||||
山城 |
京都 | 京都 | 東アジアで「京」は天子の住む都、首都を意味する。 | |
|
||||
|
||||
丹波 |
豊岡 | 兵庫 | 天智天皇の治世に兵の武器の倉庫「兵庫」があったことから。 | |
|
||||
丹後 |
京都 | (前出) | ||
|
||||
但馬 |
兵庫 | (前出) | ||
|
||||
播磨 |
飾磨 | |||
摂津 |
兵庫 | |||
大阪 | 大阪 | 蓮如が「大坂御坊(石山本願寺)」を建立。のちに大阪と書くようになった。 | ||
和泉 |
堺 |
|||
河内 |
||||
大和 |
奈良 | 奈良 | 平らな土地を意味する「なら(す)」からきている。 | |
紀伊 |
和歌山 | 和歌山 | 「和歌浦」の和歌と「岡山」の山との合成語。 | |
伊勢 |
渡会 | 三重 | 倭建命が「わが足三重のまかりなして、いと疲れたり」と語ったことから。 | |
伊賀 |
安濃津 | |||
志摩 |
渡会 | |||
淡路 |
名東 | 兵庫 | (前出) |
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
四国地方 |
阿波 |
名東 | 徳島 | 蜂須賀家政が城を築き、そこを徳島と改称。 |
土佐 |
高知 | 高知 | 「河内山城」が高智山城、高知城と変わり、地名も高知となった。 | |
伊予 |
宇和島 | 愛媛 | 古事記に出てくる神名、「愛比売」が「愛媛」になった。 | |
松山 | ||||
讃岐 |
香川 | 香川 | 樺の木の香りを移して流れた川が「香川」になった。 |
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
中国地方 |
備前 |
岡山 | 岡山 | 岡山城が築かれた丘の名前。城周辺の丘を岡山と呼んだとも。 |
美作 |
北条 | |||
備中 |
深津 | |||
広島 | ||||
|
朝臣、大江広元の「広」と、僧侶、福島元長の「島」を合わせた。 | |||
備後 |
広島 | |||
安芸 |
||||
周防 |
山口 | 山口 | 阿武郡にある「山の入り口」に由来。 | |
長門 |
||||
石見 |
浜田 | 島根 | 島または島国の意味で、根は島につく接尾語。八束水臣津野命が名付けたという。 | |
出雲 |
島根 | |||
隠岐 |
||||
伯耆 |
鳥取 | 鳥取 | 白鳥を捕獲して朝廷に献上する人たち「鳥取部」に由来。 | |
因幡 |
地方 |
国名 |
廃藩置県 |
都道府県名 |
名称の由来 |
九州・沖縄地方 |
筑前 |
福岡 | 福岡 |
筑前国城を治めていた黒田氏の発祥の地である備前福岡に由来。 |
筑後 |
三潴 | |||
豊前 |
小倉 |
|
||
大分 |
|
|||
豊後 |
大分 |
「多き田」が「大分」となった。 |
||
日向 |
美々津 | 宮崎 | 神武天皇の住まい、高千穂宮の前に広がる土地を「宮前」と呼んだ。 | |
|
||||
大隅 |
都城 | 鹿児島 | 古くは桜島のことを鹿児島と呼んだ。鹿の子が住んでいたなどの説がある。 | |
|
||||
薩摩 |
鹿児島 | |||
肥後 |
八代 | 熊本 | 「隈本」という名を加藤清正が熊本に変更。「くま」は地形に由来すると思われ、諸説ある。 | |
熊本 | ||||
肥前 |
伊万里 | 佐賀 | 逆流する川「さか川」が「佐嘉川」に転じ、「佐賀」も使われるようになった。 | |
|
||||
壱岐 |
長崎 | 長崎 | 長い岬(長い崎)のある地が由来。 | |
|
||||
対馬 |
伊万里 | |||
琉球 |
鹿児島 | 沖縄 | 「沖」と、漁場を意味する「なば」が合わさったもの。 |
ここで、先月号までの取り上げた福島県と山口県の変遷を見てみよう(勝田政治著、前掲書、 236、245頁)。
藩 |
廃 藩 置 県 |
現在 |
||||||||||||||||
(M4.7.14) | ||||||||||||||||||
三春藩 | 三春県 | |||||||||||||||||
白河藩(棚倉藩) | 棚倉県 | |||||||||||||||||
泉 藩 | 泉 県 | |||||||||||||||||
平 県 | 磐前県 | |||||||||||||||||
中村藩 | 中村県 | |||||||||||||||||
(M4.11.2) | (M4.11.29) | |||||||||||||||||
湯長谷藩 | 湯長谷県 | |||||||||||||||||
磐城平藩 | 磐城平県 | |||||||||||||||||
福島県 | ||||||||||||||||||
二本松藩 | 二本松県 | 福島県 | ||||||||||||||||
(M9.8.21) | ||||||||||||||||||
福島県 | (M4.11.14) | |||||||||||||||||
(M2.7.20) | ||||||||||||||||||
白河県 | ||||||||||||||||||
(M2.8.7) | ||||||||||||||||||
若松県 | 若松県 | |||||||||||||||||
(M2.5.4) | (M4.11.2) | |||||||||||||||||
(M4.7.14) | ||||||||||||||||||
徳山藩 | ||||||||||||||||||
山口県 | ||||||||||||||||||
山口藩 | ||||||||||||||||||
岩国藩 | 岩国県 | |||||||||||||||||
山口県 | ||||||||||||||||||
清末藩 | 清末県 | |||||||||||||||||
(M4.11.15) | ||||||||||||||||||
長府藩 | 豊浦県 | |||||||||||||||||
福島県について、上表に「会津藩」がないのは、『会津藩は元領の二十八万石を没収され、三万石を与えられた。それも会津盆地を追われて、今の青森県下北半島の僻地に押し込めるといった懲罰的な処置であった。斗南藩と称したその不毛の土地の近隣には、現在、六ケ所村の核燃料再処理工場がある。』(野口武彦稿「戊辰内戦の敗北を噛みしめて」『別冊歴史REAL 敗者たちの幕末維新』洋泉社、2014年、7頁)とあり、多くの辛苦をしのいだ「斗南藩」は青森県となった(勝田政治著、前掲書、 235頁)。
藩 |
廃 藩 置 県 |
現在 |
|||||||||||||||
(M4.7.14) | |||||||||||||||||
松前藩 | 館 県 | ||||||||||||||||
弘前藩 | 弘前県 | ||||||||||||||||
盛岡新田藩 | 七戸県 | 青森県 | |||||||||||||||
八戸藩 | 八戸県 | (M4.11.2) | |||||||||||||||
黒石藩 | 黒石県 | ||||||||||||||||
斗南藩 | 斗南県 | ||||||||||||||||
(M3.5.15) | |||||||||||||||||
また、山口県についても「長州藩」が見当たらない。長州は長門国(現、山口県)ともいわれ、『輝元は剃髪、隠居し、広島から山口に移り、それから萩に城を築き、幕末まで長州藩として存続した。』(星亮一著『会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか―』ベストセラーズ、2013年、48頁)とある。しかし国名としては、長門(ながと)は、『①旧国名、今の山口県の西部:北部。古くは穴門(あなと)、長州』(広辞苑)とあり、周防(すおう)は、『旧国名、今の山口県の東部、防州・「すは」とも』(同上)とあった。二つのうち、「長門」国の別称として長州があり、長州藩は萩藩(長門国萩に藩庁を置いた外様藩)と同じであり、毛利藩ともいわれている。これについて前回でも取り上げたが、『いや 女房の家系には会津藩の白虎隊の戦士がいたらしいんですよ だから長州の人間は来るなと怒られました 厳密にいえば俺んちは周防の国なんですけど』(弘兼憲史作『係長島耕作〈2〉』講談社、2012年版、28頁)と島耕作が述べていることの意味が理解できた。つまり、周防は長州ではないとしているのである。
戊辰戦争は、『会津城下を占領した薩長軍の略奪、暴行は一層ひどくなり、会津藩兵たちは、城下を荒らし回る敵兵に歯ぎしりして悔しがった。』(星亮一著『敗者の維新史―会津藩士荒川勝茂の日記』青春出版社、2014年、87頁)とあるが、その薩長軍について、『従来、会津城下の略奪暴行の数々は、長州兵によると考えられていたが、長州の主力部隊が会津に入ったのは九月十日前後で、戦争はほぼ終結しており、滞在も実に短かった。』(星亮一著『会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか―』ベストセラーズ、2013年、217頁)という見方から、会津と長州の人びとの和解を求め、『むしろ“昨日の敵は今日の友”と握手してこそ、“会津”の名は光り輝くことになるであろう。』(同上. 221頁)との必要性を感じた。
ところで、廃藩置県ののち、『1885(明治18)年には,行政機構の強化をはかり,太政官制を廃止して内閣制度をつくった。初代内閣総理大臣(首相)には,伊藤博文が任命された(第1次伊藤博文内閣)。』(『高等学校改訂版日本史A』第一学習社、2016年版、54頁)とあった。ここで以降30年ごとに期間を区切り、総理大臣について、初代の伊藤博文氏から第41代小磯國昭氏までは出身地別に、第42代鈴木貫太郎氏以降第97代安倍晋三氏までは選挙区ごとに一覧にして示すと、次表のとおりである。
〔表〕総理大臣出身地一覧表
地区 |
都道府県 |
年 代 |
計 |
||||
第1期 1885(明18)~ 1915(大4) |
第2期 1916(大5)~ 1945(昭20) |
第3期 1945(昭20)~ 1974(昭49) |
第4期 1975(昭50)~ 2004(平16) |
第5期 2005(平17)~ 2016(平28) |
|||
北海道 |
北海道 |
1 (20.0%) |
1 ( 1.3%) |
||||
東北 |
岩手 |
|
3 (12.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
4 ( 5.3%) |
|
関東 |
群馬 |
|
|
|
3 (20.0%) |
1 (20.0%) |
4 ( 5.3%) |
栃木 |
|
1 ( 4.0%) |
|
|
1 ( 1.3%) |
||
千葉 |
|
|
|
|
1 (20.0%) |
1 ( 1.3%) |
|
東京 |
|
5 (20.0%) |
1 ( 7.7%) |
|
1 (20.0%) |
7 ( 9.3%) |
|
神奈川 |
|
|
1 ( 7.7%) |
1 ( 6.7%) |
2 ( 2.7%) |
||
(小計) |
|
6 (24.0%) |
2 (15.4%) |
4 (26.7%) |
3 (60.0%) |
15 (20.0%) |
|
信越 ・ 北陸 |
長野 |
|
|
|
1 ( 6.7%) |
1 ( 1.3%) |
|
新潟 |
|
|
1 ( 7.7%) |
|
1 ( 1.3%) |
||
福井 |
|
1 ( 4.0%) |
|
|
1 ( 1.3%) |
||
石川 |
|
2 ( 8.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
3 ( 4.0%) |
||
(小計) |
|
3 (12.0%) |
1 ( 7.7%) |
2 (13.3%) |
6 ( 8.0%) |
||
中部 |
静岡 |
|
|
1 ( 7.7%) |
|
1 ( 1.3%) |
|
愛知 |
|
1 ( 4.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
|
2 ( 2.7%) |
|
(小計) |
|
1 ( 4.0%) |
1 ( 7.7%) |
1 ( 6.7%) |
|
3 ( 4.0%) |
|
近畿 |
滋賀 |
|
|
|
1 ( 6.7%) |
|
1 ( 1.3%) |
京都 |
2 (11.8%) |
|
2 (15.4%) |
|
|
4 ( 5.3%) |
|
大阪 |
|
1 ( 4.0%) |
1 ( 7.7%) |
|
|
2 ( 2.7%) |
|
(小計) |
2 (11.8%) |
1 ( 4.0%) |
3 (23.1%) |
1 ( 6.7%) |
|
7 ( 9.3%) |
|
中国 |
岡山 |
|
2 ( 8.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
|
3 ( 4.0%) |
広島 |
|
1 ( 4.0%) |
1 ( 7.7%) |
1 ( 6.7%) |
|
3 ( 4.0%) |
|
(小計) |
|
3 (12.0%) |
1 ( 7.7%) |
2 (13.3%) |
|
6 ( 8.0%) |
|
四国 |
高知 |
|
1 ( 4.0%) |
2 (15.4%) |
|
|
3 ( 4.0%) |
徳島 |
|
|
1 ( 7.7%) |
|
|
1 ( 1.3%) |
|
香川 |
|
|
|
1 ( 6.7%) |
|
1 ( 1.3%) |
|
(小計) |
|
1 ( 4.0%) |
3 (23.1%) |
1 ( 6.7%) |
|
5 ( 6.7%) |
|
山陰 |
山口 |
9 (52.9%) |
2 ( 8.0%) |
2 (15.4%) |
|
1 (20.0%) |
14 (18.7%) |
島根 |
|
2 ( 8.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
|
3 ( 4.0%) |
|
(小計) |
9 (52.9%) |
4 (16.0%) |
2 (15.4%) |
1 ( 6.7%) |
1 (20.0%) |
17 (22.7%) |
|
九州 |
福岡 |
|
1 ( 4.0%) |
|
|
|
1 ( 1.3%) |
大分 |
|
|
|
1 ( 6.7%) |
|
1 ( 1.3%) |
|
佐賀 |
2 (11.8%) |
|
|
|
|
2 ( 2.7%) |
|
熊本 |
|
1 ( 4.0%) |
|
1 ( 6.7%) |
|
2 ( 2.7%) |
|
鹿児島 |
4 (23.5%) |
1 ( 4.0%) |
|
|
|
5 ( 6.7%) |
|
(小計) |
6 (35.3%) |
3 (12.0%) |
|
2 (13.3%) |
|
11 (14.7%) |
|
(計) |
17 (100.0%) |
25 (100.0%) |
13 (100.0%) |
15 (100.0%) |
5 (100.0%) |
75 (100.0%) |
ここでも明らかなように、第1期1885(明治18)年から1915(大正4)年までの30年間の総理大臣は17名であるが、そのうち山口(長州など)は9名(52.9%)、鹿児島(薩摩)は4名(23.5%)で薩長で13名(76.5%)であり、戊辰戦争に勝利した官軍の主力が日本の指導者となっており、現在まで合計75名のうち山口14名(18.7%)、東京7名(9.3%)、鹿児島5名(6.7%)、岩手・京都各4名(5.3%)で、ここまでの合計が34名(45.3%)となっており、薩長の強さはまだ残っているが、福島(会津)は0名である。このように戊辰戦争の影響は130年余りが経過した現在も続いているのも、驚きの事実とみてよいだろう。
―島耕作(弘兼憲史)氏の69歳の誕生日に―
平成28年9月9日
横山和夫