Monthly Archives: 4月 2017

模鉄!3

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クレイジー横山です!

どうも!

ひさびさの模鉄

完成!

模鉄(大井川①)2

模鉄(大井川②)2

電車が9両。

これは1両単位で走る。

フリーランス(架空の電車)の電車たち

みんな同じに見えるけど

窓の形とライトの形の違いで

3タイプある。

素材は京都の叡山を走っていた電車。

これを

前面を変えて

実車にはなかった冷房装置を搭載し

色は函館市電の広告車を真似た。

渋い色使いながら

腰部のマルーンは

発色を良くするために

下地にダークブラウンを塗ったりと

そんな具合に

なんだかんだと7色の塗料を使用。

イメージは

山の温泉に向かう電車。

いやあ

この電車たち

完成するまでに

何年かかったことか。

最初に素材を買ったのは

10年以上前。

何度も何度も挫折しかかった。

出来は65点だけど

愛着はすごくあるな。

 

 

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積!

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クレイジー横山です!

どうも!

仔犬と少女

月日が流れて

「また帰ってくるね」

「たまにでいいよ」

セ○スイハウスのCM

柴犬って

なんであんなに

かわいいんだろう。

そういえば

このCMソング

社名のところだけじゃなくて

もっと長い歌なのかな

って思って

調べてみた。

ほら

この木なんの木

とか

おいしい焼売

とか

フルバージョンあるじゃん。

調べてみてわかった。

いやさ

このCMソング

何種類もあんのな

メロディだけ同じで

歌詞とアレンジが違う歌が。

知らなかったよ。

一番気に入ったのは

アルケミストの歌。

ライブでも歌ってくれるらしい。

歌詞に社名が入ってることについて

いろいろと意見があるけれど

おれは別に

かまわないと思う。

っていうか

この歌CMソングだろ?

依頼者の社名歌うの当たり前だろ。

えーちゃんなんか堂々と歌ってたぜ。

それにしても

アルケミスト

最高!

笑ってる

生きている

ふと見上げれば

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同窓生!2

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クレイジー横山です!

どうも!

「感動」のもう一人の方は

江幡さん。

女性です。

女子の試合に出場。

みんなわかる?

熱い女子はカッコいい

ってこと。

女子の試合をなめるなかれ。

ガチだよ。

熱いよ。

そんな江幡さん

愛嬌があって明るくて

でも

目を見てると

ものすごく頭いいんだろうな

って思ったりしてた。

女子だって強くなりたい。

腕力じゃないんだよ。

気持ち。

ハート。

心が強くなりたいって思いは

男女関係ないんだよ。

「Jは定年あるからおれは出られるのあと数年。だけどKはないしRもない。おれこれからも試合出続けますよ」

って言ったら

「生涯スポーツですよね」

って。

二人で大きく頷いて

拳を合わせたよ。

熱いよな。

江幡さん。

輝いてる。

まぶしいくらいに

輝いてる。

でも

江幡さん

自分が輝いてることに

実は

自分では気がついてなかったりするんだろうな

なんて思ったりもしたよ。

 

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同窓生!1

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クレイジー横山です!

どうも!

今回の試合の

「感動」

恵比寿の同窓生に会えたこと。

試合に出場したお二方。

まずは

豊島さん。

4年前

おれが恵比寿のジムに見学に行ったとき

豊島さんが練習してた。

その豊島さんの姿を見て

おれは

「このジムすごくいいな」

って思った。

「こういう仲間と練習できたらいいな」

って思った。

この見学には

なぜかコウジも付き合ってくれたので

コウジは覚えてるかも。

豊島さん

すごく礼儀正しい方で

入室するとき

「練習始めます。よろしくお願いします!」

退室するとき

「練習終わります。ありがとうございました!」

って必ず言う。

この礼儀正しさ

カッコいいよね。

弟さんが格闘技やってて

それで影響受けて

って聞いたことがある。

クラスとかで

おれがへんてこりんなことやってると

よく注意してくれたっけな。

「後半に追い上げて巻き返す横山劇場、魅せてもらいましたよ」

って言ってくれたよ。

そんな豊島さん

実は

おれの携帯に入ってる動画に

映ってたりする。

3年前

恵比寿にサンドバッグがあった頃

それで練習してるおれの姿を

トレーナーさんが撮ってくれて

そのときに

背後の入口から入室する豊島さんが映ってる。

おれも

豊島さんみたいに

強くなりたい。


 

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4戦目!3

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クレイジー横山です!

どうも!

終わった瞬間

自分の出来は35点だったけど

少なくとも負けてはないな

って思った。

判定は0-1でドロー。

ぎりぎりで負けずにすんだ。

勝ちたかったな。

賞状もらいたかったな。

もらったら

一生の宝にしようと思ってたんだけどな。

顔面にパンチ受けた感

ぐあんぐあんする。

タオルを見たら血がついてる。

ぶっ

鼻血でてる。

キックよりむしろパンチのほうが

ヤバかったな。

ガード甘すぎだわ。

また挑戦するぞ。

いつかは絶対賞状もらうぞ。

トーナメントでは

優勝したら賞金もらえるらしいんだけど

おれにとっては

賞金より賞状。

だって

お金は仕事で稼げる。

でも

賞状は勝たなきゃもらえない。

挑戦し続けるぞ。

終わってから

キックパンツでうろうろしてたら

「試合出たんですか?」

って

観客の方に訊かれた。

「はい」

ちょっと優越感。

この誇りが

仕事のエネルギーになってるんだ。

J-GROW

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4戦目!2

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クレイジー横山です!

どうも!

全150試合のうち

自分は第55試合。

ゴングが鳴った。

すごい形相で相手が向かってくる。

しぬほどこわい。

ひたすら右ミドルをけってくる。

おれの体って蹴りやすいのか?

もう蹴られ放題。

でも

効いてないぞ。

痛くないぞ。

相手のセコンドの声が

全部日本語だったから

日本語ペラペラなんだろうな

って思った。

なかなかおれが倒れないから

相手が焦ってくる。

相手が疲れてきた。

おれは疲れてないぞ。

おれが唯一誇れるのがスタミナなんだ。

よし

もうバカの一つ覚えだ。

直線系パンチひたすら出しまくれ。

しつこくしつこく。

相手のキックが出なくなってきた。

出したくても

おれがパンチでしつこく邪魔してるから

出せない。

試合終了。

あっという間だった。

 

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4戦目!

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クレイジー横山です!

どうも!

また試合に出たよ。

こんどは

ジムの内部のイベントじゃなくて

外部の他流試合。

闘う相手は初対面。

相手を知らない分

前日まではあまり緊張しなかった。

その相手は

なんと外国人。

当日に

フランス出身らしいことがわかる。

そして

こんどは脱衣で闘う。

今までの試合は

着衣と脱衣

どっちでもよかった。

こんどは上半身裸。

これはちょっとはずかしい。

プールとか風呂とか

みんなそういう格好なら

全然はずかしくないんだけど

自分たちだけ脱いでる

ってのは

やだな。

でも

玲於奈先生(軍曹様)が

「良和、おまえ裸のほうが強そうに見えるぞ」

って言ってくれたので

自信を持って挑んだ。

試合には

同じ江古田のジムから

ひろさとさんも出場。

自分はワンマッチ。

ひろさとさんはトーナメント。

みんなで出るのは

一体感が生まれて

すごく楽しい。

このワクワク感

そして

はんぱない緊張感。

同年代でこんな経験してるヤツ

そうそういないだろうな。

こんな経験できるなんて

自分は幸福者だと思った。

 

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メール!15

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クレイジー横山です!

どうも!

3月の迷惑メール件数の集計結果

月間1,712通

1日平均55通

100件超えが続いた1~2月に比べると

ペースダウン

2016年9~10月頃の水準に戻っている。

迷惑メールの件数を数え始めてから1年

(おれもヒマだな)

1年間の決算を行うことにした。

そう

3月の年度末決算。

2016年4月から2017年3月までの

総受信件数は

合計で

19,106通!

1日平均52通だな。

均すと1時間に2通ちょっとか。

あんまりたいしたことないな。

ところで

今月の受信件数は

…実は芳しくない

先月末から低調。

年度末だからか?

あっ

海外では

3月が年度末って概念ないから

違うか。

メール送信会社(?)の従業員が

「体調不良」だったためと

思われる。

お大事に!

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15号車!

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クレイジー横山です!

どうも!

トータルの

朝のレギュラーメンバーの

会員さん

おれが右肩腱板手術した頃

その会員さんも右足手術して

「足と腕、お互い逆ですね」

とか話したりしたよ。

その会員さんは

足にギブスしたまま

おれは

腕に装具つけたまま

朝練してたよ。

歳はおれと同じらしい。

そんな会員さんと

早朝の品川駅で

ばったりお会いする!

乗る列車は

同じ「のぞみ1号」

乗る号車も

同じ「15号車」

おおっ!

なんという偶然。

会員さんは広島まで

おれは福山乗り換え東広島まで

お互い日帰り。

トータル列車

出発進行!

「出発よし」

「安全よし」

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柔軟!7

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クレイジー横山です!

どうも!

ストレッチを初めて

4月でかれこれ1年。

どんだけ柔らかくなったかっていうと

…実は

ほとんど変わってない。

ものの本によれば

数週間で180度開脚

のはずなんだけど

大目に見て

90度ちょい

正直ベースでは

90度ジャストかな。

あいかわらず

二言目には

「横山さんは体が硬いから」

って言われるし。

じゃあ

あきらめるのか

っていうと

ところがどっこい

そう簡単には

あきらめないんだよね

おれしぶといんで。

やせるのと同じ

年単位

だと思う。

10年やってダメだったら

そのときに堂々とあきらめる。

「たった数週間」じゃあ

体は変わらないんだよ。

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《石川啄木の生き方を考える―その3》

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8.石川啄木の生きざま

啄木は自身の赤裸々な生きざまについて,1909(明治42)年に次のような書き出しで始まる『ローマ字日記』を残している(桑原武夫編訳『ローマ字日記』岩波書店1977年,9頁)。

APRIL

TOKYO

7TH WEDNESDAY,

HONGO-KU MORIKAWA-TYO 1 BANTI,

SINSAKA 359 GO, GAIHEI-KAN-BESSO NITE.

 

Hareta Sora ni susamajii Oto wo tatete, hagesii Nisi-kaze ga huki areta.

そして,この『ローマ字日記』を書く理由について,初日の4月7日に次のように記している(前掲書10-11頁,124-125頁)。ただし,妻節子の学歴であればローマ字の読み書きができるはずであるから,別の目的で書いたのかもしれない。

そんなら なぜ この日記をローマ字で書くことにしたか? なぜだ? 予は妻を愛してる;愛してるからこそ この日記を読ませたくないのだ.―しかし これはウソだ!愛してるのも事実,読ませたくないのも事実だが,この二つは必ずしも関係していない.

そんなら 予は弱者か? いな.つまり これは夫婦関係という まちがった制度があるために起こるのだ.夫婦!なんというバカな制度だろう! そんなら どうすればよいか?

悲しいことだ!

また文学の苦悩について,17日の日記に次のように述べている(前掲書,56-57頁,169頁)。

ひとりになると,予は またいやな考えごとを続けなければ ならなかった.今月も もうなかばすぎだ.社には前借りがあるし……そして,書けぬ!

‘スバル’の歌をなおそうかとも思ったが,紙をのべただけで イヤになった.

あき家へ入って ねていて,巡査につれられて行く男のこと を書きたいと思ったが,しかし筆をとる気にはなれぬ.

泣きたい! 真に泣きたい!

“断然 文学をやめよう.”と ひとりで言ってみた.

“やめて,どうする? なにをする?”

“Death〔死〕!”と答えるほかはないのだ.じっさい予はなにをすればよいのだ? 予のすることは なにかあるだろうか?

いっそ いなかの新聞へでも行こうか! しかし 行ったとてやはり 家族をよぶ金は 容易にできそうもない.そんなら,予の第1の問題は 家族のことか?

とにかく問題はひとつだ.いかにして生活の責任の重さを感じないようになろうか? ―これだ。

金を自分が持つか,しからずんば,責任を解除してもろうか:ふたつにひとつ.

おそらく,予は 死ぬまで この問題をしょって行かねばならぬだろう! とにかく ねてから考えよう.(夜1時.)

経済的な困窮もあって文学の行き詰まりがひしひしと伝ってくる。人間啄木の生きた姿が100年あまり経過した現代に甦ってくるような気がした。

かなり美人である妹・光子が伝道婦になるため,名古屋のミッション・スクールを受験することとなったことを知り,啄木の故郷「渋民」について,18日の日記は次のように記載されている(前掲書,63-64頁,175頁)。

シブタミ! 忘れんとして忘れえぬのは シブタミだ! シブタミ! シブタミ! われをそだて,そして迫害したシブタミ!……予は泣きたい,泣こうとした.しかし涙が出ぬ!……その生涯のもっとも大切な18年のあいだを シブタミにおくった父と母―悲しい年よりだちには,そのシブタミはあまりにつらく 痛ましい記憶をのこした.死んだ姉は シブタミに3年か5年しかいなかった。2番めのイワミザワの姉は,やさしい心とともに シブタミを忘れている:思い出すことを恥辱のように感じている.そしてセツコは モリオカに生まれた女だ.予とともにシブタミを忘れえぬものは どこにあるか! 広い世界に ミツコひとりだ!

 

今夜,予は妹―哀れなる妹を思うの情にたえぬ.会いたい! 会って 兄らしい口をきいてやりたい! 心ゆくばかり シブタミのことを語りたい.ふたりとも 世の中のつらさ,悲しさ,苦しさを知らなかった なん年の昔に帰りたい! なにもいらぬ! 妹よ! 妹よ! われらの一家が うちそろうて,楽しくシブタミの昔話をする日は はたしてあるだろうか?

いつしか雨がふりだして,雨だれの音がわびしい.予にして もし父―すでに1年たよりもせずにいる父と,母と,ミツコと,それから妻子とを集めて,たとい なんのうまいものはなくとも,いっしょに晩さんをとることができるなら………….

家族と離れ東京での一人暮らしの侘しい生活のなか,啄木が父母・妹・妻子と共に食卓につくことができず,家族愛を取り戻したいと念じている啄木のいじらしさが伝ってくる。

この『ローマ字日記』について,『啄木はこの日記を生涯の親友だった金田一京助に預けた際,あなたが見て悪いと思ったら焼いてくれと頼んだそうです。また節子夫人は病死する直前に,「啄木は焼けと申したんですけれど,私の愛着が結局そうさせませんでした」といい残して,啄木の函館時代からの友人宮崎大四郎にこの日記を贈ったのです。その後『ローマ字日記』は市立函館図書館に保管されるようになり,今日に至っています。(ドナルド・キーン稿「ローマ字でしか書けなかった啄木の真実」前掲『新文芸読本石川啄木』,126頁)という貴重なものであることを付記しておきたい。

 

9.石川啄木とその関係者である文学者

ここで石川啄木本人と交流のあった主な文学者をあげると,次のとおりである。

氏名 在命期間 死亡年齢 出身 最終学歴 啄木との関係
石川啄木 1886-1912 27 岩手・日戸 盛岡中学(中退)

正則英語学校

金田一京助 1882-1971 90 岩手・盛岡 東京大学言語学科 高等小学校以来の友人物心両面にわたって啄木を支えた。
野村胡堂 1882—1963 82 岩手・彦部 東京大学法(中退) 啄木の軽挙を戒める,よき忠告者。
若山牧水 1885—1928 44 宮崎・坪谷 早稲田大学英文科 啄木の死をみとった。
与謝野鉄幹 1873—1935 63 京都 (学歴はないが徳山女学校

教師・慶応義塾大学教授)

歌人。「明星」同人。
与謝野晶子 1878—1942 75 大阪・堺 堺女学校 歌人。同上。
北原白秋 1885—1942 58 福岡・柳川 早稲田大学英文科(中退) 歌人。同上。
森鴎外 1862—1922 61 島根・津和野 東京大学医学部 作家。「スバル」同人。
吉井勇 1886—1960 75 東京 早稲田大学(中退) 歌人。同上。
木下杢太郎 1885—1945 61 静岡・湯川 東京大学医学部 歌人。同上。
二葉亭四迷 1864—1909 46 江戸 東京外語学校(中退) 小説家。朝日新聞社で「二葉亭四迷全集」の校正を啄木が担当。
夏目漱石 1867—1916 50 江戸・牛込 東京大学英文科 小説家。朝日新聞社で漱石が主宰する「朝日文芸欄」の校正を啄木が担当。
732
平均寿命 61.0

ここでもわかるように,上記の文学者12名の学歴は東京大学5名,早稲田大学3名,東京外語学校1名,女学校1名,計10名(83.3%)であることから,啄木の学歴コンプレックスの強さも理解できる。なお,明治時代の平均寿命はおよそ44歳であるが,この12名の平均は61.0歳であり,かなり長寿であることがわかる。経済的に余裕のある人が多かったことも一因であろう。一方で,27歳(数え年)で亡くなった啄木がいかに短命であったかを知ることができる。

また,啄木の家族についても,次表の( )で死亡年齢を示したように,きわめて短命家族であった。

 

 

啄木(1886—1912,27歳)   (長男)真一(1910,0歳)      
       
              (長女)晴子
      (長女)恭子(1906—1930,24歳)    
(妻)節子(1886—1913,28歳)       (長男)玲児
         
    (次女)房江(1911—1930,19歳)      
         

なお,孫の晴子氏,玲児氏のいずれかの子供である真一氏(ひ孫)は,天逝した啄木の長男と同じ名前である。

ちなみに啄木の結婚は,啄木と節子が20歳(数え年)のときであり,結婚生活は啄木が亡くなる26歳までのわずか6年あまりである。結婚年齢は次表のとおり,明治43年では男性27.0歳,女性23.0歳であるから,かなり早婚であった。ちなみに2015年には男性31.1歳,女性29.4歳と大幅に延びており,平均寿命が男性80.2歳,女性86.6歳であるから,平均の結婚生活の期間は男性が49.1年,女性は57.2年ということになる。

平均初婚年齢の変化
男性(歳) 女性(歳) 年齢差
1910年(明治43年) 27.0 23.0 4.0
1920年(大正9年) 27.4 23.2 4.2
1930年(昭和5年) 27.3 23.2 4.1
1940年(昭和15年) 29.0 24.6 4.4
1950年(昭和25年) 25.9 23.0 2.9
1960年(昭和35年) 27.2 24.4 2.8
1970年(昭和45年) 26.9 24.2 2.7
1980年(昭和55年) 27.8 25.2 2.6
1985年(昭和60年) 28.2 25.5 2.7
1990年(平成2年) 28.4 25.9 2.5
1995年(平成7年) 28.5 26.3 2.2
2000年(平成12年) 28.8 27.0 1.8
2005年(平成17年) 29.8 28.0 1.8
2010年(平成22年) 30.5 28.8 1.7
2015年(平成27年) 31.1 29.4 1.7
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ただし,年齢差は横山が付した。

なお,この表から明らかなように,男女とも初婚年齢は延びており,また男女別の初婚年齢差は4.0歳から1.7歳まで縮小している傾向が読みとれる。

文学者のなかには夏目漱石のように『硝子戸の中』,『道草』(1915年)などの自伝小説を残している作家もいるが,啄木のように『ローマ字日記』という形で当時の心情を直接的な表現で残していることは稀有のことと思われる。教員時代に英語も教えていた啄木が,あえてローマ字にしたのも彼なりの考え方があったであろう。当時の夫婦間は現代とは違い,男尊女卑が主流であったことから,啄木は本当の心情を直接妻に伝えることができないので,『ローマ字日記』に託したのではないだろうか。「読ませたくない」のではなく,むしろ「読ませたかった」のだと思われた。この『ローマ字日記』は啄木のひ孫・真一氏に伝えることができた。私はこのようなものを残すことはないだろうと思うが,何か自伝的なものを書きたいと念じた。

 

―長かろうと 短かろうと わが人生に 悔いはない

という石原裕次郎さんの歌が聞こえてくるような日に―

平成29年3月19日

横山和夫

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