《「一生勉強,一生青春」賢人三人の生き方から学ぶ》

Posted on by

最近,夢と生き方について,三人の賢人の記事を目にした。私は相田みつを先生の「一生勉強,一生青春」の色紙を書斎に飾っており,それを有言実行しているが,三人の方々の夢と生き方に感動し,さらに勇気づけられた。

まず一人目は,伊藤一志氏である。

東京六大学(東京・慶応・早稲田・立教・明治・法政)野球連盟の春・秋のリーグ戦で,東京大学は,勝つこと自体がニュースになるほど,ほぼ六位が定位置となっている。東京大学野球部の創部は1917(明治6)年であり,今年は100年目を迎えた。学力偏差値はダントツである。しかし,野球能力偏差値は,いうまでもなく最下位である。野球大好き人間は意外に多く,今年度の選手数は,投手17名,捕手9名,一塁手5名,二塁手4名,三塁手7名,遊撃手7名,左翼手9名,中堅手7名,右翼手8名の計73名(http://tokyo-bbc.net/cgi-bin/member/

list.php?format=detail)であり,試合に出られる倍率は8.1倍である。東大野球部にこれだけ多くの選手がいるとは思わなかった。他の大学に入学していれば,神宮球場のベンチにも入れない人が,東大野球部であればそれが可能となり,野球への夢が叶えることができる。そのことは,他のスポーツではあまり考えられないことである。

東大野球部出身者で著名な人は,NHKの「ニュースウオッチ9」のキャスターを2010(平成22)年から2015(平成27)年まで5年間務めた,文学部出身の大越健介氏であり,右サイドスロー投手としてリーグ戦50試合に登板し,8勝27敗・防御率3.52の成績を残している。大越氏は8勝したことよりも27敗のほうが誇れるという。それはベンチがよくそこまで自分を使ってくれたと思うと語ったといわれているが,その謙虚さはニュース番組での表情にも表れていた。

ところで,この投手のなかに40歳の伊藤一志氏がいる。彼は,愛知県の名門・東海高校を卒業後,一浪して慶応義塾大学商学部へ入学,卒業後,日本医科大学へ入学し31歳で医師免許を取得し,埼玉医科大学国際医療センターに麻酔科医として勤務したが,どうしても東大野球部に入部して野球をしたいという夢を達成するため,結婚しても働きながら5年間の受験勉強を継続し,2012(平成24)年に35歳で文科三類に合格したが,3年間仕事の引継ぎなどを終えるために休学し,2015(平成27)年に復学し,すぐに憧れの野球部へ入部したという考えられない経歴の持ち主である。

そして,本年4月15日,40歳で東京六大学フレッシュリーグ(新人戦)で慶應義塾大学との対戦で先発し,打者9人,2安打3四球4失点(自責点1),1イニング36球でマウンドを降りた。彼は,高校時代は野球をしてはいなかった。医大時代にはリーグ戦でマウンドに立ったことはあるが,夢の神宮球場でのマウンドに立った姿には満足感があふれていた。彼もまた,大越健介氏と同様に監督に感謝したことだろう。「夢は叶えるもの」というが,伊藤一志投手に多くの人が励まされるものと思う。今が一番若い時,今後の活躍を祈る。

二人目は元プロ野球選手の桑田真澄氏である。

東大の野球部といえば元巨人軍投手桑田真澄氏が2014(平成26)年に特別コーチを務めていた。桑田氏の高校・プロでの野球選手としての活躍はここで取り上げるまでもないことであろう。ただ1985(昭和60)年,本人は早稲田大学進学を希望していたので,ほとんどの球団は指名を敬遠していたが,巨人は1位指名をし,入団したことから清原和博氏が涙した。その後二人の人生は大きく分かれた。桑田氏は大学は卒業していなかったが,「個別の入学資格審査」を経て,2009(平成21)年早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程(1年コース)に入学し,24年後に夢を叶えた。大学院では平田竹男教授の指導を受け,修士論文「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」で最優秀論文賞を受賞し,首席で修了した。さらに,硬式野球部の特別コーチを務める東京大学において,大学院総合文化研究科の研究生として合格し,2年間を目途に投手・野手の動作解析を研究する予定といわれていたが,その結果は明らかでない。いずれにしても桑田氏は49歳の今も夢の実現のためさらに精進されることであろう。

なお,今まで取り上げた伊藤一志氏,桑田真澄氏のお二人は直接の面識はない。

三人目の加藤廣先生は,私が親しくご交誼をいただいている人生の先輩のお一人である。加藤先生は1930(昭和5)年,東京に生まれ,もともと文学に関心が強かった。しかし,1954(昭和29)年,東京大学法学部を卒業後,中小企業金融公庫入庫,京都支店長,本店調査部長を歴任,1983(昭和58)年の退職後,山一證券経済研究所顧問,中小企業等の経営コンサルタント,埼玉大学非常勤講師等を務め,1995(平成7)年㈱加藤企画を設立,2005(平成17)年,75歳で,本能寺の変後,信長はどこへ消えたか―,10年をかけて書き上げた日本史史上最大の謎に挑んだ本格歴史ミステリーである『信長の棺』(日本経済新聞社)で作家としてデビュー,小泉純一郎元首相が愛読者だと公言し,250万部を超えるベストセラーとなった。

加藤廣先生は,『私には小説家になるという夢がありましたから,それを実現させるべくひたすら勉強しました。40代になってビジネス書を出版するようになっても,これは本来の仕事ではないという意識がありました。そして,晴れて小説家になったのは75歳のとき。夢というのは,叶えるのにはずいぶん時間がかかるものです。』(加藤廣の名言|夢というのは,叶えるのにはずいぶん時間がかかるhttps://systemincome.com/31904)と言われている。加藤先生は,「50代の心がけ」3カ条をとして次の三つをあげておられる(プレジデント2017年5月1日号,69頁)。

1 同僚ではなく社外の人間と飲みにいく

安い店では人脈は広がらない。無理してでも高い店へ。

2 土日のうちどちらかは学びの時間に

家族の理解がなくても将来を見据えた勉強を続けていく。

3 勉強している姿を他人に見せない

嫉妬されないように馬鹿を演じてやっかみを排除。

また人生は,『お金に余裕ができたとしても,50代で守りに入ってはいけません。幕末の儒学者,佐藤一斎は次のように書き残しています。「少くして学べば,則ち壮にして為すことあり。壮にして学べば,則ち老いて衰えず」若いときに学べば大人になって何かをなすことができ,大人になっても学びをやめなければ衰えることがないという意味です。』(同上,68-69頁)とし,さらに,『先ほど紹介した佐藤一斎の言葉には続きがあります。「老いて学べば,則ち死して朽ちず」老人になっても学びを続ければ,後世に何か残す人になるという意味です。私は今年で齢87ですが,いまだ学びをやめるつもりはありません。現在は恋愛小説を執筆中です。いくつになっても新しいことに挑戦するのはわくわくするものです。どのような作品ができあがるのか,いまから楽しみです。』(同上,69頁)と結ばれている。

夢は夢で終わる人が多いなか,半世紀にわたって勉強を続け,その夢を叶えることができる人も存在することを知った私は,先生から無形の応援をいただいたことに感謝している。

 

―躑躅(つつじ)の花が春酣(たけなわ)を告げている日溜りのもと―

平成29年5月2日

横山和夫

Category: 職員Blog
Comments are disabled